| 途中途中で歩くペースが落ちて、何度か立ち止まった。躊躇いがあった。アムロに会うことに対してではなく、休んでいるだろう最中に、無遠慮に会いに行くことに対してだ。 彼からすれば何もかもが初めてで、その状況下で死ぬかもしれなかった自体にも遭遇したのだ。せざる終えなかったとはいえ、単機で宇宙から地球へと降下したアムロは心身ともに極限状態だったろう。 つい最近までハイスクールに通っていた子供に、刺激の強い体験で済ませるには些か大きすぎている。かといって、満足に休めるわけではない。否が応でもアムロはパイロットになってしまっている。短い時間の中で得られる休息は少ないかもしれないが、だからこそ、体を休める時間は絶対的に必要だ。 だが、セイラに面と向かって行ってくれと言われた手前、会いに行かないままにしておくというのも後味が悪い。せめてアムロに一言労いの言葉でもかけておくかと完結させて、ようやく無機質な扉の前に立ったのである。 −…ノックして返事がなかったら戻れば良いか 当たり前の如く、色気もへったくれもない扉と睨み合う事数秒。思考はだいぶアバウトになっている。ほかの事に悩む努力を注ぎ込みすぎたらしい。右手で扉を軽く三度叩いた。しばらく待つも、反応はない。 「アムロ?」 あまり声を上げないように呼びかけると、微かだが中からカタン、と物音が聞こえた。起きているのかと思ったが、それ以降は静かで、返事もない。寝ているときに偶々物が落ちたのか、本当は起きているが返事をする気がないのか。どちらにしても、今は良いタイミングではないようだ。戻るか、と来た通路に足を向けると、追いかけるようにしてノブを回す音が響いた。意識が削がれて扉を見ると、小さな隙間が出来ている。奥からは、アムロの俯いた姿が見えた。短い髪の下で、とてつもなく不機嫌な表情を隠そうともしていない。台風警報だ。 「寝てたんじゃなかったんだな」 「まだ、そんなに経ってませんから」 「なら出直すよ。大変だったんだろ?休んでた方が良い」 顔を上げずに低い調子で話すアムロを気にした風もなく、は続けた。実際特に気にしたわけでもなく、刺々しく休めていないことを伝えられても、やはりタイミングが問題だったか、とごちた程度だった。だが、アムロは直ぐに答えず、逡巡するように黙る。そしてゆっくり半歩程後ろに引いた。 「…入ってください」 「良いのか?」 「聞きたいことと言いたい事があるんです。立ち話もなんですから」 聞きたいことに言いたい事、と考えて一瞬セイラとの会話を思い出したは直ぐに吹き消した。 アムロは目を合わせないようにしているが、こちらの様子を窺うのがはっきり見て取れる。わかった、と言って頷くと、微かに表情が和らいだ。本人は無意識なのだろう。こういうところが、子供らしい反応で、微笑ましく映る。 二度目になるアムロの部屋は、案外散らかっていた。といっても、脱ぎっぱなしのブーツがベットの傍に転がっていたり、ダストボックスに入り損ねたのか、無造作にドリンクの容器が二、三本転がっている程度だった。初めに入ったときより生活感が増しているのは、ここが彼の私室として定着し始めているのかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのかは、判断できないが。 「すみません、イスが一つしかなくて」 「アムロはベットに座れば良いよ。直ぐ寝れるだろ。俺は立ってるから」 「え、でも」 「あぁ、駄目か。話し相手が立ってたら威圧感あるもんな」 ディスクとセットになっているイスを見るが、やはり会話をするには位置が悪い。良く見れば、転倒防止のためにイスには足がなく、床に固定されていて動かすことが出来ないようにされている。軍艦ならではのつくりだ。フム、と考え、は迷うことなくその場に腰を下ろした。 「前も思ったんですけど、どうしてイスに座らないんですか?」 「動かせれば座ってるんだけどな。あのままじゃ話すに場所が悪すぎだろ」 「そうですか?」 「俺はね。他人がどう思うかは知らないよ」 肩を縮める。見上げる格好になったが、改めてアムロを見たは一通り怪我がない様に思わず笑みを浮かべた。急に微笑まれたアムロは、やはりというべきかきょとんとした顔になる。 「あの、さん?」 「ごめん、悪い。再確認できたもんだから、ついな」 あの時、インカムで一方的に投げつけた言葉に返ってくる声はなかった。言い切れたかどうかのところで、無情にも通信が遮断されたのだ。仕方のないこととはいえ、生存が確認されるまで、流石に肩が力んでいた。モビルスーツ単機で大気圏突破など、まず有り得ないというアランの言葉が脳裏を巡って、それが不安要素の一つになっていたのは言うまでもない。 嫌な沈黙の中、オペレーターが生存を伝えて皆が喜び合う間に、は乗り込んだ直通エレベーターの中で溜まっていた息を思い切り吐き出していた。たが、生きていることがわかっていても、伝えられる情報だけだった側としては、自らの目で確認できたことが一番良い。 「ほんと、無事に戻ってこれて良かったな」 お疲れさん、と続けて、目を見開いているアムロに言った。固まって動かないままにの言葉を聞いていたアムロは、彷徨う目と同じく躊躇うように口を開いた。 「……さん、あの時、艦橋にいたんですか?」 アムロの『あの時』は、間違いなく大気圏に突入している最中のことだ。聞きたいことも、このことなのだろう。予め予想していたは浅く頷いた。 「あぁ、無断侵入だけどな。いたよ」 「どこでも良いからホワイトベースに張り付けって、言いましたよね」 「言った言った。声張り上げたから、その分良く聞こえたのかもな」 「そう、だったんですね。やっぱり聞き間違いじゃなかったんですね」 最後は呟くように確信の言葉を吐いて、俯いてしまった。なぜここで頭を下にするのか、しかも妙に暗くなるのか。からして全く予想外な反応だ。怒鳴られたことにショックを受けたわけでもあるまいに(それ以前に怒鳴るほどの声は上げていない)、変に黙り込まれると正直困ってしまう。 「俺がいたこと、セイラから聞かなかったのか?」 「聞きました。収容される前に通信で教えてもらったんです」 「それでも信用できなかったわけだ」 セイラの言葉を鵜呑みに出来ていれば、こんな会話をするはずがない。寧ろ部屋に入れるわけがないのだ。軽い調子で言うと、アムロの眉が僅かに下がった。 「あの時…ホワイトベースが下に見えたとき、ボク、もう駄目だって思ったんです。ほんの一瞬ですけど、死ぬかもしれないって覚悟しました」 ぽつぽつと話し始めるアムロに、は黙って耳を傾けた。 「本当はホワイトベースに戻りたかったんです。でも、ザクはまだ迫ってくるから、撃たなければこっちがやられるかもしれなかった。だから、あと少しって考えてながら、無我夢中で撃ち返して。直ぐに戻れると思ったんです…直ぐに」 ジーパンを履いた太ももの上に置かれていた手が固く握り締められていく。酷く苦しげな表情でアムロは拳を見つめていた。思い出しているのだ。既に起きてしまったことと、それに付随する『起きるかもしれなかった』最悪の可能性。後者でいえば、俗に言う最初で最後の経験だ。大方、彼の頭の中を占めているのはその両方だろう。何に関しても、処理し切れなかった感情は最中ではなく、後から来る。激流のように荒れ狂う気持ちを上手く流して収められるかは本人次第であり、方法は人それぞれだ。こればかりは自分自身で見つけて、折り合いをつけていくしかない。 ただ、パイロットとしての自覚を未だ明確に持たずにいるアムロからすれば、そんな方法を考えること自体拒否を示したくなるのかもしれない。根本で、彼は自分が軍人になったとは思っていないのだ。 「さんの声が聞こえたとき、機体は全くコントロールできない状態だったんです。とっくに大気圏に突入していたから、ノイズも混じって途切れ途切れで、直ぐに聞こえなくなりました」 それはそうだろう。自身、通信が届いているのかどうかはまるで期待していなかった。上手く届いたのならそれに越したことはなかったが、正直、負けに近い賭けに打って出た心境だったのだ。だからこそ、セイラから話しを聞かされたときは、多少の驚きを抱いたのである。 音が響かなくなった室内では一瞬にして静寂が満たす。だが、途切れたアムロの声はぐに繋がった。 「…でも、何を言ってくれたのかは、直ぐにわかったんです」 頭が持ち上がり、拳に落とされていた視線がとかち合う。幼い子供が迷子になって泣き出す寸前のような、縋るような目だ。はその眼差しを正面から受けたが、結局何も言わずに黙っていた。 気付いてはいた。アムロが何を欲しがっているのかなど、話を聞く前から察しがついてた。だが、『それ』を言葉にしなければならないのはではない。だから、何を言うこともなく口を閉じていた。その沈黙をアムロはどう理解したのか、口を微かに開いては閉じ、目を彷徨わせてはまた何かを言おうと口を開き、ぱたりと俯いてしまう、を二度繰り返した。結局、二度目に俯いてからは動かなくなってしまったが、そこまで至って、は音にせず笑みを浮かべた。やはり、彼にはここまでが限界らしい。 「なぁ、アムロ、俺が今、戻ってきたお前に言いたいのは一つだけなんだよ」 のろのろと頭を上げるアムロと目が合うのを待って、は先を続ける。 「お前は良くやったよ。無事に戻ってきてくれて、本当に良かった」 労いの言葉は心からのものだ。生死の境にある戦場から五体満足で生還して、こうして話をしているという現実は、何よりも変え難い。アムロが生きている、という事実が大事なのであって、軍人でもない側からすれば他の注意事項などミクロ単位で必要がなかった。に、と笑うをどこか呆然とした面持ちで、しかし縋る眼差しは変わらずに見つめていたアムロだったが、ゆるゆると口を開いた。 「…さん、ボクがこれから言うこと、笑いませんか?」 「おかしなことなのか?」 「……笑っては、欲しくないです。でも、もしかしたら、馬鹿だって、笑うかもしれません」 「なら笑わないし馬鹿にしない。約束だ」 右手を上げて誓いの形を作る。茶化しているようでも、伝えることははっきり口にした。アムロには言葉も態度も必要だ。 「…ボク、本当は」 聞くことが出来たのは、ここまでだった。 小刻みなノック音の後、来訪者のアムロを呼ぶ声が室内まで届いて、言葉が途切れたのである。扉の向こうで、急いでと呼びかけの声を上げているのはフラウだ。自然と扉へと顔を向けたは、どうするかと再度アムロに視線を戻す。 が、いつの間にか変化していた表情に思わず目を瞬かせていた。 「アムロ?」 頭を傾げながら問うも、本人は返事をせずにアムロはぷいと顔を逸らしてベットに寝転んでしまった。眉間には皺が一本刻まれている。完全な不貞寝だ。 「呼んでるぞ」 「良いんです。どうせ入ってくるんだから」 刺のある声でも律儀に答えて、アムロは目を瞑った。この変化は一体何なのか。に対しての態度でないことはわかるが、ノブを回して入ってきた彼女と喧嘩でもしていたのだろうか。それにしては、勢い込んだ表情のフラウは自然体だ。 「ッ?」 ノブを握ったまま驚くフラウに、は軽く手を上げた。アムロ以外の人間がいるとは考えもしなかったのだろう。 「フラウが艦橋で注意受けたってセイラから聞いたけど、俺だけとんずらしてごめんな」 「え?あ、うぅん。それは良いんだけど…って、アムロったらまだそんな格好なの?」 ベットで寝転んでいる探し人を見たフラウは、彼同様険しい顔つきになる。不味いかも、と思うの視線の先で、歩いてくるフラウを拒むようにアムロは背中を向けた。 「アムロ?どうしたの?」 「別に…なんでもないよ」 腰を上げて扉の直ぐ隣の壁に寄りかかったと入れ替わるようにフラウがベットの傍で立ち尽くしている。足元にはハロが懐くように転がっていて、主人の名をしきりに呼んでは起きろと連呼している。それでも反応を返さないアムロと、屈みこんだフラウの背中を眺めているの心中は、唯一つだった。 −不味い…よなぁ 次の瞬間、まさしく予想を裏切らない展開が繰り広げられることになる。始まったやりとりに、は最小限に溜息をこぼしていた。 next back |