今まで動いていたのは居住区と食堂と、そして二つを結ぶ通路だけで、艦内でもかなりの一部分。避難民に許された区画だけを行ったり来たりしていた。軍人の釣り上がった目を盗んで別の区画に入り込むなど考えてもいなかったし、それどころでもなかったのだ。真っ当な民間人然としていた方が後々面倒にならずに済む、とふんでいたわけだが。

「……わかりにくい」

少し、真っ当すぎた自分を後悔していた。


誰に見咎められることなくパイプを伝って最下エリアまで降りることが出来た。感じる重力が居住区よりも少ない。あらぬ方向に流されないよう壁面に手をつけて、体が振られないように前へと重心を押し出した。勢いに乗って、体はふわりと宙に浮き、ゆっくり進んでいく。
通路に人気がないのは、乗員が全て同じ区画に収集されているからだ。目の届く場所に集めることで、監視の目を行き届きやすくするのだろう。随分な対応だが、乗員以上に避難民が多いこの艦で、どれほどの監視ができるというのか。現に避難民として扱われているは見咎められることなくうろつくことができるている。弛んでいる以前の問題だろう。

−もうちょっと別に目を向けるべきだよねぇ

別れている通路を横切るのと背後に注意しながら、そろそろと進んでいく。誰も見あたらない。見つからないのは好都合だが、視界の隅にうつった人物が気になって降りてきたのだ。ここまで姿が見えないとなると僅かに不安になる。見間違いの筈はない。金色の頭と朱色のような服が、鮮やかな残像になっている。そういえば、フラウも朱色のような、下手をするとピンクにも見える練習生の服を着ていた。
セイラも同じ色だった。

−…女性か

だとしたら、相当肝が据わっている。たとえ緩い警備態勢であっても、無駄に胸を張った軍人達がライフルを両手にそこかしこで目を光らせているのだ。無闇に動き回ろうとは間違っても思わないだろう。天晴れ、と内心で拍手をしながら何度目かに背後を振り返ったときだった。

「…ん?」

触れていた壁面から感じ取れた小さな振動と、微かに聞こえてくる低い反響音に、は両手で壁に触れて進むのを止めた。感覚を聴覚に集中させ、耳鳴りでも聞き間違いでもないことを確信すると、素早く周囲を見渡し、壁に背中をピタリと張り付けて両目を閉じる。
間を置かずに伝わる背中からの振動も、ドオンという花火を破裂させたような反響音もしっかり感じ取れる。断続的に伝わる振動の方が強いが、どちらが強いかということなど、今は問題ではない。

「基地の中でお祭り…なーんて有り得ないか」

軽い口調で呟いていても、感情は篭っていない。ゆっくりと瞼を上げて、数瞬天井を見上げていたは、それまで進んでいた通路を見ると、また壁に手をついて先を進んだ。
戻ったところでどうしようもないのだから、進んだ方が無難だろう、という単純明快な答えが導き出されたからだった。

「動くな!」

唐突に、はっきり聞こえた女性の声で、眉間に皺を寄せた。に対してではない。先に見えるT字の分岐の更に向こうからの声だ。集中しなければ聞こえなかった反響音と違い、くぐもってはいるが、科白もわかる。

「ヘルメットをとりなさいっ」

聞いた声だ。凜とした響きのある声は、今のところ一人しか該当しない。

「…セイラ、だよね。この声は」

呟きながらT字の分岐で壁が直角になっている部分を握りこみ、ひょいと頭だけを出して左右を見た。距離はあるが、背筋良い背中と金髪が印象に残る、ピンクの軍服。そして誰かに向かって必死に声を上げている。間違いなく、セイラである。そしてもう一つ、違う声とセイラの奥に見えた赤いシルエットを確認した瞬間、の視線は一気に鋭くなった。

「注文の多いお嬢さんだ」

響き良い声に目に見えてセイラの背中が揺れる。隙だらけだ。

−馬鹿っ

小さな悲鳴と鈍い音が聞こえて、ぐらりと細い体が傾げた。上に伸びたセイラの手から何かが弾き飛んでいき、シルエットだけの赤い服の男がその腕を捻り上げる。お世辞にも、友好的とは言えない対応だ。

「くそっ」

反射で通路に飛び出し、無重力で流れる体を軽く捻って反対の壁に足を着く。相手もセイラと同じく金髪のようだ。赤いぴったりとした宇宙服のようなそれと等しく、目に映える。しかし、簡単に隙を見出して組み敷いていく動きに全く無駄がなかった。つまりプロだ。

「セイラッ!」

名を叫ぶと、気付いた男が捻り上げていたセイラを突き放した。微動だにしない相手に、も動くことができない。寧ろ妙な動きをしないでくれと、内心気が気でない。格好良く飛び出してしまったは良いが、【今】は完全な丸腰だということを失念していた。相手がプロなら、銃の一つや二つ、携帯していてもおかしくはない。が動けば相手は必ず反応するし、そうなれば傍にいるセイラが危ない。彼女を盾にされれば動きようがなくなる。八方塞がりだ。

ッ!来ては駄目っ!」

焦りのある声が反響する。出方待ち、になっているのだから、返事すらできない。
倒れ伏せたセイラを一瞥することもなく、睨み据えてくる男の目から逸らすことなく、内心で盛大に舌打ちする。せめて気が逸れてくれれば、と思ったの耳にまた別の声が届いた。

「セイラさんっ!」
「アムロッ?」

姿は見えないが、確かにアムロの声だ。何故ここに、という疑問が浮かぶが、その声に男の意識がようやく逸れたことで体は直ぐに動いた。反動をつけて勢い良く側壁を蹴り、一気に距離を縮める。
二人のいる場所が広い吹き抜けた格納庫なのだということはわかっていた。通路から出て視界がぐんと広がる。視点は正面のみだ。セイラさえ引き離せれば、と転落防止用の手摺りを掴んだところで、男が腰にかけていた細長い筒のようなものに手をかける。
次に響いたのは、確かな銃声だった。


あと数歩まで縮めて、は握っている手摺りを重心にしてキャットウォークに足をついた。目の前で容赦なく発砲する様をみせられたのだ。しかも相手の足元には人質同然のセイラが横たわっている。近づくのは無謀すぎる。

「また子供か」

男はが立つところからもわかる呟きをして舌打ちをした。そして鈍く光るゴーグルを取り出して顔の上半分からすっぽりと被り、上からヘルメットも被る。セイラと、何故かに一瞥をして、男は軽い動作でその場から離れていった。

−……仮面、ねぇ

姿が見えなくなって、ようやく肩の力を抜く。肩と腕の関節部分を押さえたまま倒れているセイラに近づくと、膝を折って覗き込んだ。

「セイラ、肩は?」
「え、えぇ。平気よ」

肩を押さえているのに、大丈夫だと返事をする彼女の強さに小さく笑んだ。

「後で医務室にでも行った方が良いね。手加減なく捻られてたみたいだから、筋痛めてるかもしれない」
「そう…そうね」

どこか呆けたような、気持ちが追いついていないような答え方に、小さく頭を傾げつつも、ひょいと下を見下ろす。
視界の先に、鉄の棒を片手に唖然とした顔で座り込んでいるアムロがいた。棒の先からは小さく煙が見える。命中したのはどうやらその部分で、彼自身を狙って撃ったわけではないらしいことに小さく安堵した。

「アムロ、怪我は?」

答えがない。僅かに声を強くして呼びかけると、慌てたように、はいと返事をしてくる。よっぽど先程の事態に驚いたようだ。まぁ、アムロが元々は普通の学生だったことを考えれば、驚く以前に固まってしまうのは当然かもしれない。

「怪我はないな?」
「は、はいっ、平気です。あっ、セイラさんはっ!?」
「少し肩が痛いだけよ。何ともないわ」
「良かった。そっちに行きます」

立ち上がりながら笑顔を浮かべたセイラに、アムロも安心したようだ。
全に有利な状況で、男が何を理由にこの場を去ったのかはわからないが、何はともあれ大事に至らずに済んだのだから良しとしたい。無重力の中を器用にのぼってくるアムロは、とセイラのいるキャットウォークに足をつけると、交互に視線を投げた。

「セイラさん、医務室に行きましょう。診てもらった方が良いですよ」
「有難う。にも言われたし、そうするわ」
「言われなくても行くべきです」

すかさずが突っ込むと、ようやく笑顔を浮かべて頷いてくる。僅かに和んだ空気だったが、次に向けられたアムロの控えめな問い掛けに、笑顔が若干引きつったものになっていた。

「でも、さん、何でドックにいるんです?」

四つの目が集中する。一難去ってまた一難。頭を抱えたくなった。








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