降下の際、揺れが酷いかもしれない、とは部屋を訪れたフラウの言葉だった。広い室内では窓から地球が目一杯に見られることもあって、それぞれが頬を緩ませ、昔話に花を咲かせていた。だから、その言葉は気にも留められていなかったかもしれない。

「手摺りや固定テーブルに掴まっていてください。何も心配することはありませんからね」

聴いた瞬間から嫌な予感はあった。
話す表情に僅かな緊張が見え隠れして、そわそわと落ち着きがなかった。出入り口の直ぐ脇に座り、短い注意事項を聞いていたは、部屋から出て行こうとするフラウに目で問いかける。が、気付いたフラウはそれでも強張った笑顔で誤魔化して部屋を出て行った。余計胸騒ぎが大きくなるのも当然だ。本当なら、的中してもらいたくない予感だった。無事に済めばそれに越したことはなく、肩を撫で下ろすだけで終わる。だが、これまでの過程を振り返ればそれはあまりに考えにくい。簡単に地球に下りることを許すような相手なら、敵の基地に侵入してくるほどの、攻め一点の作戦はまず実行しないだろう。無邪気にハロで遊ぶ子供達を眺めながら、不穏な先行きに知らず吐息を落としていた。数分後、結局、願いは見事なまでに裏切られることとなる。

「みんなしっかり手摺りを握ってろよ」

傍で座り込んでいる三人組とフラウ、そしてハロに声をかけると、それぞれが気丈に返事を返してきた。轟音と揺れは激しく艦全体を揺さぶっている。部屋のあちこちから悲鳴が上がっていて、音だけでも恐怖感を煽られるように甲高い声が絶え間なく響いていた。当の自身、揺れで体が振り回されないように壁の出っ張りを掴んでいる状態だ。上手くバランスをとりながら、厚い耐熱シャッターで閉ざされた窓を見ては、目茶苦茶になった部屋を見回している。誰ともわからない荷物が浮き上がっては床に落ち、ペットボトルが転がっていく。ちなみにアランはといえば、の隣で細い手摺りを抱き込むような格好でしがみ付いていた。

「アラン、平気ですか」
「こんな状況でどうやったら平気だと返せるんだ!」
「反応してくれる内は大丈夫ですよ」

振動と爆音で会話が止まる。シェーカーの中にでも放り込まれて激しくシェイクされている心地だ。

「随分派手ですね」
「仕方あるまいっ。ドンパチしていればこれくらい派手にもなる!」
「そりゃそうですけど、この感じは…」

劣勢かもしれない。言いかけた締めの一言は、やはり振動で喉の奥に転がり落ちていった。間断なく攻撃をしかけて、大半が命中しているようだ。激しい揺れと轟音が伝わるのが良い証拠で、如実に『こちら』が不利な状況だということを知らせている。無事地球に降下できるのかどうかも怪しいのではと疑いが浮かぶほどだ。
少しの損傷が致命的な傷になって空中分解、という最悪なパターンは宇宙からの降下では決して珍しいことではない。が、勿論そのパターンに当てはまりたいとは誰も思わないだろう。
ホワイトベースと言っていたか。二回ほど見た印象で考えれば、よほどのダメージを受けなければ降下は無事に終えられるくらいの規模だった。上手く凌いで大気圏に突入することができれば、という話が前提なのだが、どちらにしても相手には攻めることが好きで賢い指揮官がいるらしい。戦闘不可になる直前まで攻め続ける方法は、無謀ともとれるが効果的と頷くことも出来る。

「うわぁ、ハロ!」

カツの悲鳴だ。慌てた表情と目を辿って見れば、踊る荷物の中に混じって緑色のボールがくるくると空中を回転していた。二枚の羽がはたはたと世話しなく動いて、驚いているのか困っているのか、目が点滅しきりだ。フラウがハロを押さえるよう声を上げて、揺れが止まる合間を見計らったカツが動こうとしたのを一瞬早く制した。

「カツちょっと待った」
「え?」
「俺が行くよ。危ないからそこいろ」

壁に跳ね返りながらふよふよと漂うハロ。タイミングを計る。取っ手にかけていた手に軽く重心を置いて、天井で跳ね返ったハロがころりとこちらに降りてくるのを見逃さずに床を蹴った。重力はある程度設定されていても、体を縛り付けるほど重くはない。降りてくるハロを軽い動作でキャッチして着地する。安全圏の中に入ったハロは大人しくしていたがしきりに『ハロハロ』と繰り返していた。

「いや、うん。もう大丈夫だって」

宥めるように呟き、手摺りを跨ぐ。唖然とした顔のカツに手渡すと同時にまた揺れが襲った。

ッ!平気!?」
「フラウこそ平気?」

壁に手を着いてふらつかない様に抑えるをフラウが見上げてくる。子供をしっかりと抱き込む姿は頼もしく思えるが、浮かんでいる表情は見間違えることもないほどの恐怖だ。彼女も不安でたまらないのだろう。片側で抱き込んだ少女が堪えきれずに泣き叫んでいる。周囲からも、悲鳴と泣き声が引っ切り無しに耳に届いて鼓膜を揺らす。壁に当てていた手を離してフラウに縋り付いていた少女の背後に腰を下ろしたは、包み込めるくらい小さな頭に手を置いた。

「大丈夫。もう少しの我慢だからな」
「怖いよぉ!」
「あぁ怖いな。でも、直ぐに怖い音を立ててる連中はいなくなる。あと少しだ」

震える少女の背中や頭を優しく撫でる。視線を感じて頭を上げると、呆けた表情でを見るフラウとかち合った。気の抜けた、力を失ったような表情だ。

「あと少し、だろ?」

力付ける意味も込めた問いかけは功を奏したらしい。我に返ったように瞳に生気が戻ったフラウは、ぎこちないながらも頷きを返してくる。非常事態に慣れていない少女に、この反応が今は精一杯なのだ。
それから数分も経たない内に爆音と振動はおさまった。微かな振動は続いていたが、数分前までのもに比べたら全く気にならない。安堵感が漂い始め、もアランと子供たちに平気かと問いかける。元気一杯に返事をするキッカに疲れた顔のカツとレツ。そして放心状態のフラウにぐったりと手摺りに寄りかかったアランも、何とか答えてくれていた。

「連中、ようやく引いたかの」
「みたい、ですね。撤収せざる終えなくなったのかな」
「そうだろう。モビルスーツで大気圏突入など不可能だ。ましてや撃ち合いなど・・・・む、金輪際、軍艦やらで地球降下はせんぞ。体中が悲鳴を上げとる」
「お察しします」

肩を落としているアランに苦笑を一つ。和みかけた空気は、ゆらりと立ち上ったフラウの呟きに掻き消えた。
「アムロ…アムロは」
「フラウ?」

子供たちが怪訝な表情で見上げている。明後日の方を向いていたフラウの目が何かを見つけたように扉へと向けられ、それまで縮こまっていた少女とは思えないほどの身軽さで駆け出していた。慌てたのはその場にいた全員だ。キッカ達の呼び止める声にさえ耳を貸さず走り始めたフラウを、が何事かと追いかける。部屋を出て、更に先へと走ろうとするのを手首を掴んで無理矢理とめた。

、離してっ!」
「ちょ、ちょい落ち着こうよフラウ。何、アムロがどうしたの」

半狂乱に叫んでもがくフラウに、の言葉は届いていない。振り向かせて両肩を掴んで顔を覗き込むが、パニックのような状態は静まらない。寧ろ動きを止められて更に酷くなっている。

「アムロがっ!アムロの無事を確かめたいの!」
「何で?待機じゃないの?」
「違うのよっ!ジオンが追いかけてくるから、アムロがガンダムで出て、ぎりぎりまで追い払うことになったのよっ!」
「……マジ?」
「無事に戻ってきたかもしれないけど…でも、わたし、心配でたまらないの!」

悲鳴のように叫んでくる。瞳を滲ませて、眦は今にも雫が零れ落ちんほど盛り上がっていた。考えてもいなかった事態に思わず掴んでいた手の力が緩んだことを感じ取ったのか、フラウはの手を振り解いて走り去っていく。一瞬唖然となったものの、は直ぐに持ち直して走る背中を追いかけた。

「…まぁ、有り得なくはないんだろうけど」

呟いて、小さく舌打ちする。アムロはパイロットだ。民間人だろうが、子供だろうが、新型の兵器を動かすことが出来ているのは彼一人なのだ。ならば、つい数分前までの戦闘にアムロが出撃していてもおかしくはない。それが例え、とてつもなくリスクの高い状況下であっても、母艦の危機を回避するのがパイロットの、乗員の使命なのである。そこに甘えは一切許されない。軍とは、そういう場所だ…と、頭でどれだけ理解して理路整然と並び立てていても、感情は別にある。悪態を吐きたいのが本音である。

「これだからなぁ」

前を行くフラウが立ち止まり、ボタンを押している。エレベーターだ。他の区画で見た簡素な作りとは多少異なったエレベーターの扉が音もなく開いてフラウが中に入り込んでいく。勿論も数秒の差で閉まり掛けた扉の隙間にするりと身を滑り込ませた。入る際、ガコン、と背中を打ちつけた際に浮かべた渋い顔の理由は、痛いというよりも格好がつかないことの気恥ずかしさである。

「危ない危ない」
ッ!?あなた、どうして!これは艦橋直通のエレベーターなのよ!」

驚きと戸惑いの表情で傍に寄るフラウに、はへらりと笑う。軍服を着た誰かがしきりに同じようなことを言っていた気がする。顔など覚えているわけもなく彼方に飛んでいるが、着込んでいた軍服だけは記憶に残っていた。

「と言っても、乗っちゃったんだからしょうがないって」
「で、でも、どうして」

言葉をなくしてブラウンの瞳が揺れる。物言いた気に見上げられて、ともかく苦く笑った。どうして、など、今更だ。

「アムロ、心配なんでしょ?気が合うじゃん」
「……」
「もし上官に怒られそうになったら、俺がフラウのこと脅したって言うよ」

上昇するエレベーターの微かな作動音を耳に、沈黙が包む。喧騒の中から切り抜かれたような箱の中で、その静けさは重さや居心地の悪さを少しも混じらせることはなかった。



扉が開いて一歩を踏み出せば、居住区では調整されていた重力が軽く感じられた。格納庫ほどではないが、やはり重力はそれほどに制御されていないらしい。浮かび上がろうとする体に弾みをつけて壁伝いに前を行くフラウの後に続く。直後、聞こえてきたのはスピーカーを通した声だった。

『制御不能です!!』

緊迫した声がしっかりと伝わる。短い通路の壁を支えにしてフラウが止まる。その背後でも止まり、開けた視界で初めて見る艦橋の広さと天井の高さに呆気にとられた。そして、ぐるりと見回っていた目がスクリーンに写し出されている画像に一瞬にして表情が険しくなる。火の玉のように真っ赤になった機体が二機。一機は知らない。もう一機には見覚えがある。

「アムロは、アムロがまだ帰ってないんですか!?」

叫ぶ声に視線が集まった。にではなくフラウに、だ。どさくさに入り込んだ民間人に構っていられないほど、緊張しきっているのがわかる。少女からの悲痛な問いを投げつけられて、しかし皆、一様に目が泳いでいた。二人の関係を知る故に答えられないのだ。視線を合わせられないのは、正面から受け止めきれる潔白さがないから。そして、穏やかに嘘を突き通すだけの演技ができないから。優しくとも残酷な乗員達が答えるより先に、正面スクリーンが写し出している無情な事態を理解したフラウが小さく悲鳴を上げた。絶望が染めた声は、か細く、耳に残響して胸中をざらつかせる。

「セイラッ!」

一際声を上げて金髪の女性の名をは呼ぶ。返事は直ぐに聞こえた。

ッ!?」

声の主の場所を目で判断すると、体をひねり両足を側壁につける。反動をつけて壁を蹴った。間に合うかは分らない。だが、画像が写し出されているならまだ時間はある。軽い重力の中、艦橋を横切る。途中、ようやくの存在に気付いたらしく、民間人がどうのこうのという声があったが反応はしなかった。中央にそびえる様にして作られた柱のようなものを避けてセイラが座る傍へと上手く足をつける。

「あなた、何故ここへ!?」
「その質問、答える前にちょっとインカム貸して」

理解していない態だったが、説明する暇がない。問答無用でひょいとセイラの頭にあったシンプルなインカムを取り外して(髪の毛が絡まないよう注意はした)装着する。

「アムロ!聞こえてんならホワイトベースのどこでも良い!ともかく張り付け!単独で降下したらポイントがずれて迷子になるぞ!急げ!」
「電波障害!しばらく通信が途絶します!」

スクリーンに無機質なノイズが走り、完全に外界との接触が断ち切られた。間に合ったのかどうか、ましてや聞こえていたかも定かではない。大気圏突入で振動は更に細かく、大きさを増している。息を深く吐き出し、は俯いているセイラの前、コンソロールパネルの上に静かにインカムを置いた。力なく見上げてくるセイラの肩を緩く叩く。振り返り見た艦橋の乗員達の顔は悲痛で、沈黙は体中に纏わりついて離れない。醸し出す雰囲気が空気に混じっているかのようだ。

−モビルスーツ、で良いんだよな。あれ

画像に映し出されていた機体は、初めにアランから説明を受けたモビルスーツ、人型の兵器だった。アムロが乗っている、白を基調とした巨大な兵器でもある。あれで、敵の攻撃を阻止していたのだ。そして母艦に戻るタイミングを逸したまま、単独で一千度からの高熱を伴う状況下に取り残された。これほどに重い空気なのは、アムロが無事帰還できなかったからだ。モビルスーツで、大気圏に突入せざる終えなくなったから・・・。

『モビルスーツで大気圏突入など不可能だ』

アランの言葉が唐突に記憶の底から飛び出してくる。それが『現実』であり、『常識』なのか。まさか、傍で座っているセイラがこれほどに沈痛な面持ちになっているのも、崩れ落ちた体を手摺りにもたれてようやく支えているフラウの態も、つまり、【死】を確信させたものだから?彼の、アムロの【死】を?
眉間に縦皺を作り、は電波障害でノイズの走るスクリーンを見据える。この空間にいる全員の脳裏に、白い機体が高熱に耐え切れず粉々になっていく姿がちらついているのだろう。地上に落ちる前に全てが燃え尽き、煌く星のように瞬いて消える。その中に、彼も含まれているのだ。それは、理解するよりも早く、反射のようにあって答えを導いている。

−賭けだ、これは

ぎりと握り締めた拳は、分厚い生地の感触が生々しく伝えてくるばかりで。スクリーンだけに意識を集中させていたが、直ぐ傍で投げかけてくる視線に気付くことはなかったのである。



その後、レーダー波が回復してからのセイラの第一声は、驚愕、に尽きるものだった。通信回路が生きている。それはつまり、機体は爆散せずに、パイロットのアムロも生きている可能性が強いことを意味していた。驚きと喜びに満ちた声が周囲から湧き上がり、か細くもはっきりとした応答を受け取ると、喜びは確信的な強さを得て艦橋を満たした。各窓の視界を妨げていた耐熱シャッターがゆっくりと降りていき、絡みつく重力に青い空の下、片側のデッキの上に悠然と佇む白い機体を窓の傍まで近づいて確認する。誰もが笑顔を浮かべる中、しかしの姿は既に艦橋からなくなっていた。








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