| 「あ、まだお名前聞いてませんでした」 白をベースとした玩具のような軍艦(あくまでの考えだ)に乗り込んだ直後だった。専用エレベーターから行動が一緒になっていたフラウが素っ頓狂な声を出して問い掛けてきたのだ。 「へ?」 さてどうしようかと考え始めた時だっただけに、はかなり間の抜けた返事をしていた。だが、そんな彼にフラウはもう一度律儀に問い掛けてきてくれたのである。 「お名前、私知りません」 困ったように笑いかけてくる。そういえば、自身は彼女の名を間接で聞いたからか、既に互いに名前を知っている感覚で行動していた。思い直せば出会ってからここまで、一度も名乗っていない。それでいて会話が成立していたのだから、余程心が焦っていたのだろうか。居たたまれなくなって頬を掻くと、傍にいたセイラ、と呼ばれていた金髪の女性もに顔を向けてきている。 「あー、ごめん、すっごい失礼しました。・。で良いし、敬語も要らないよ」 「私は…」 「フラウ・ボゥ、だろ?いろんなとこで聞けたよ」 「え?」 頭を傾げたフラウを見て、は人差し指を彼女の腕の中にいるハロに向けた。 「ハロが何回も言ってるし、ちびっ子達が名前を言うのを聞いたからね」 人の波にのまれて、危うく転倒しかけたときののことだ。物凄い人と、助かりたい一心で全てが見えなくなっている群衆が狭い中に集まればどうなるか。一つ間違えばそれこそ助かる以前に別の意味で死を呼ぶことになる。人の、生き物の生への執着は凄まじいのだと、わかっていてもやはりとんでもない。 もまれ、流され、空間を上手く見つけながらまさしく縫うように一歩一歩を進んでいるの視線の片隅に、偶然彼女たちが見えたのだ。小さい子供を三人、まだ幼さの残る少女が子供達と引き離されないよう何度も下に目を向けて確認をしながら進んでいる。足取りが危うかったことと、パニックによる周囲の異常さ等が相俟って何気なく視界の中に留まった彼らが引っ掛かった。 逡巡はほんの数秒で、躊躇いなくそちらに向かう自らに失笑さえ浮かんでいたかもしれない。 『人が良いのが玉に瑕だ』、と常日頃言われていたことを思い出したからだ。まぁ、その人の良さが功を奏したわけだけれど、その時に子供らの一人が叫んでいた『フラウお姉ちゃん』という一言はきっちりの耳に残っていたわけである。 ハロについては語るべくもないだろう。 「そう…そう、ですよね」 「敬語無しで良いって」 律儀に答えたフラウにひらひらと手を振る。きょとんとした顔が直ぐに綻び、空気が和みかけたのだが、その横を数人の避難民が非難がましい目線を送りながら通っていった。 雑然とした艦内は、やフラウと同じく民間人が乗り込んでいる。それだけで随分な活気があるように感じられるが、実際それぞれの表情は重く、疲れきった様子で通路などに座り込んでいた。着の身着のまま逃げ出してきたのだろう。未だにあの惨状になった原因がかわからないだが、それでも彼等の精神的な疲労は大きいのはわかる。あれだけの人数を押し込んだのだ。歩く程度のスペースが残っているだけでも良い方だといえるだろう。 歩いていく避難民の背中を数秒眺めたは、直ぐにフラウに向き直った。 「何か、色々大変なことになってるけど、ともかく宜しく…えーっと?」 「フラウで良いわ。」 「ん、宜しくフラウ」 言いながら差し出した右手に、フラウは躊躇なく握り返してくる。僅かに力を入れて放したは傍にいたセイラに向き合った。鋭さを感じさせるアイス・ブルーの瞳はと視線を会わせても変わらない。生半可な嘘や誤魔化しは通用しない全てを見定める目を、は素直に綺麗だと感じた。何者にも怯むことのない潔い目だ。 「貴女も。宜しく」 右手を差し出す。拒否されるだろうかと予想した考えは簡単に否定された。 「セイラ・マスよ。よろしく、」 微かな笑みは、元が整っているせいか人を魅了させる。そういえばいつか年代物の古書を読んでいたときに、旅人を惑わす美しい女神は白磁のような肌と何者をも逃さない氷のような双眼だって書いてあったな、等とその『いつか』が全く覚えていないくせにフレーズのみが思考に浮かび上がってくるはおくびにも出さす笑顔で細い手を握り返した。 「話し相手ができて良かったよ」 心からの一言だったが、二人はおかしげな笑みを浮かべていた。にとって短くも実りある交流は直ぐに終わることとなる。フラウやセイラが避難民達の中で負傷している者がいるかどうかを確認しようとしたとき、何処から聞きつけたのかぴしっとした服に身を包んだ『いかにも軍人』な風体の男が声を上げて避難民達に呼びかけたのだ。 「この中で医療の知識に詳しい者はいないかっ。緊急である、直ぐに名乗り出て欲しい!」 踵を鳴らしながら聞き回っているが、呼びかけられている避難民達の中にそれらしき者がいないのか皆だんまりを通して傍観に徹している。正規の看護兵はいないのだろうか、と考えるだが、これだけの人数を乗せているのだ。もしかしたら手が回らずに民間人に協力を要請するしかないのかもしれない。つまりは、それほどに切迫しているということだ。 コロニーの中といい、先ほどのパニック具合といい、随分な事件があったのかなと考えてみるも、前後のわからないとしては正確な情報が欲しいところだった。最低でも、何故このような異常事態になったのかくらいは知りたい。いや、それ以上にここがどこなのかが一番知りたいのだが。 声を張り上げる軍人の背中は、必死の二文字が張り付いている。医療技術習得者となれば、簡単な治療でも良いのだろうか?それとも正規のライセンスを取得している方が?となると、の傍にいる彼女はどうなのだろうか。ちらっと視線を送ると、張りつめた糸のような緊張感を醸し出し始めたセイラは、既に答えを出しているようだった。 「手伝っていただけるかしら?」 ピンと伸ばした背筋良いままで、フラウとを交互に見やってくる。毅然とした佇まいには疲れの欠片もない。フラウはその気勢にうたれたのか深く頷いているが、は黙ったまま考えるようにして俯いている。 「?」 不思議に感じたのか、フラウが問い掛けてくる。それへ、は直ぐに「ん、大丈夫」と答え、顔を上げた。 「ごめん、俺はこっちに残るよ。というよりも残った方が良いかもしれない」 含みのある言い方にフラウとセイラは互いに反応を示す。 「どういうこと?」 「多分、軍人さんの言ってる緊急事態ってのは【あちらさん】にとっての意味になるわけだから、三人で行かないといけないほどじゃないと思う。少なくとも、大人数じゃないはずだよ」 「良く、わからないわ」 フラウは困惑した顔で、セイラが窺わし気な顔でを見る。 「あー…ごめん、上手く説明できなくて。でも、ほんと二人でも平気だと思う。それに、こっちの人たちも気になるから、様子見ときたいんだ」 こっち、と言いながら通路に座り込んでいる避難民達に視線を向けたに習うように二人も視線を飛ばす。疲労困憊というてらいで座り込んでいる避難民達の表情は暗い。それに何を感じたのか、セイラは小さな間の後に一つ頷くと、わかりましたと言った。声に堅さも感じられなければ、真っ直ぐにを見るアイス・ブルーの瞳に冷たさもない。 理解されたわけではないが、何かを悟ってもらえたらしい。ただ、フラウは未だ飲み込めずに頭を傾げているのだが、この際どちらかに伝われば良い。 「ごめん」 苦笑してもう一度謝る。俯きながら謝罪したのが悪かったのか、セイラはふっと笑った。労りのある笑みだ。 「気になさらないで。考えがあってのことなのでしょう?」 言うと、セイラはフラウと共にだいぶ離れてしまった軍人を追うため通り過ぎていった。セイラの後を歩くフラウが、ちらちらとに気にかける視線を向けてくるのには、軽く手を上げることで間接的に彼女の背中を押した。 「チビっ子達を探しとくよ」 通路を曲がる直前に投げた一言だった。 「……」 一人になったの全身に津波のように押し寄せたのは安堵でもなければ疲れでもない。【不満】だった。冷たい壁に背中を押しつけ、ずるずると落ちていく。他の避難民達と同じようにぐったりと座り込むと、口から盛大に二酸化炭素を吐き出した。瞼を閉じて、視界のみの闇をつくる。舌打ちをしたくなる衝動を、唇を引き締めることで何とか止めた。 何でも良いから情報がいる。今いる場所を認識したい。憶測や人伝という曖昧なものに頼るのではなく、裏付けされた証拠がほしい。些細な何かを取り込めればこの苛立ちもなくなる。確証が欲しかった。 がっくりと項垂れていた頭をゆるゆると上げて、軽い音を立てながら壁面に寄りかかる。ざわめきがそこかしこから聞こえてきて、絶え間なく耳に届く避難民達の囁き合いがいっそ鎮静音楽にでもならないだろうかと考えてさっさと消去した。 やはり疲れているのだろうか。精神的に。 「これ、夢オチだったら笑えるんだけどなぁ」 乾いた笑いを短くした後、自嘲するような呟き声を聞いたという人は誰一人いなかった。 next back |