手始めにフラウがするべき仕事は避難民への配給らしい。

元気なちびっ子達を先頭に、成り行きで厨房に向うことになったは説明を聞いて一つ頷いた。

「じゃ、手伝うよ」
「え!?」

そんなに驚かれることだろうか。それともあまり気遣いのある風に見えないのか。僅かに複雑な気持ちになりながら、フラウには座っているだけよりずっとましだと言い、着いた食堂の奥、厨房にいた恰幅の良い軍人には大きめのトレイがないかと訊ねた。数分もしないうちに男性が掲げて見せたのは、まだ使われていないのが一目瞭然の、横に長いタイプのトレイが一つ。考えていたものとは少し違ったが、大きいければ大きいほど好都合だ。

「それで充分」

にっと笑ったの横顔を、フラウがぼんやりと見つめていたのを知っているのはちびっ子の内の一人、レツだけである。


「というわけで配給です」

缶詰が乗せられたトレイを持ち、それぞれに配っていた途中で再会したアランに、はずいと差し出した。

「…お前さん、随分力があるんだのぉ」
「数ある長所の一つです」

トレイには横に二列の缶詰が六個並び、その上に崩れないようにして同じく二列、五個の缶詰が、更に空間を埋めるようにして三段目に四つの缶詰が鎮座している。大きさもある分中身もあるわけで、相当の重さのはずだが、は平然とトレイの両脇を持っている。しかも笑顔付きでだ。
勿論、アランのいる通路に来るまでは同じような視線を受けている。迫力に気圧されて手にする者、お腹いっぱいだからいらないと頭を横にふる者、そしてストレートに凄いねぇと言ってくる者等々。実は厨房を出た直後はピラミッド型に缶詰が乗せられていたというのは、見た者だけの秘密だ。それを知らないアランは両目をぱちくりとさせたが、直ぐに気を取り直して種類のある缶詰を眺め始めた。

「ふむ、先刻の配給時も同じ缶詰だったの」
「どんなの食べたんです?」
「肉」

何とも言えない沈黙が降りたのは一瞬である。

「…じゃあバランスを摂るために今度は魚にしましょうか」
「わしは魚類嫌いでの」
「肉の摂取量が多すぎれば血液がどろどろになるんですよ?この船旅で一気に不健康になりたいですか?」

爽やかに放たれた一言は、アランには充分効いたらしい。ぐっと顎を引くと呻るようにして缶詰と睨み合いを始めてしまった。しかもぶつぶつと文句まで言い始めてくる。健康、という言葉に弱いようだ。

「お前さん、老人の楽しみを取るつもりかい。全く、何と思いやりのない若者だのぅ」
「楽しみだけで長生きは出来ませんよ」
「…うぅ、ボケ始めたジジィをいじめて何が楽しのかのぅ」
「それだけ言えればぼけていませんよ。記憶力は正常値です。良かったですね」

さめざめと泣き真似をしながら魚のイラストがラベルされた缶詰を手にしたアランに、は毎度、と笑顔を深くして頭を浅く下げた。そんな二人のやりとりを聞いていた周囲からは楽しげな笑い声が忍び始めている。余程笑いを誘われるものだったのか、それともアホなやりとりだったのか、楽しげな笑顔ばかりだ。

「ほら、おじいさん。働き者のお孫さんの言うことはしっかり聞かないと、早死にしちまうよ」

向かいに座っていた中年の女性が笑いながらアランに渇を入れ始める。

「今のは完全に負けてたな、じいさん。孫の方が数倍口達者だ」
「あら、でも少しは甘く見てあげないと拗ねちゃうわよ?私はこれにしようかしら」

コーンの缶詰を掴みながら男性が、林檎の缶詰を両手で持ちながら女性が話した。それを切っ掛けに通路に座っていた避難民達が立ち上がり、の持つトレイに置かれた缶詰を物色し始める。孫、と言われたことに思わず突っ立ったままになったのが良かったのか。口々にこれだあれだと缶詰を持ち、座っていた場所に戻るとそれまで静かだったのが嘘のように雑談が彼方此方で飛び交った。

「うぅん、種類が少ないわねぇ。もっとあればいいのに」
「何言ってんだ。軍艦なんだから豪勢なもんが出てくるわけないだろ。出してくれたもんは素直に食べとかなきゃな」
「そーそー、兵隊さん達はいそがしんだから、我慢だよ。お姉さん!」
「こりゃあ子供のがよっぽど大人だっ!」

どっと笑いが起きた通路。他の通路ではこうはいかなかったが、場の雰囲気が和めばこれだけ違うのだ。アランとのやりとがなければ、減り具合は確実に悪かったことなど目に見えている。文句の一つも言われたかもしれない(他では言われたのだ)。ちらりとアランに目を向けると、黙々と加工された魚を口にしていた。の視線に気付いたのか、ふっと頭を上げてくる。その瞬間だった。

「…あ」

茶目っ気を含んだ笑顔を浮かべて、アランはウィンクを投げてきたのである。つまり、わかっていてあのような会話をしたのだ。場を和ませるため、の作業がやりやすいように。何より、避難民達の不満が起きないように。

−食えない人だなぁ

苦笑を浮かべてしまうがアランのおかげなのは言うまでもない。心の内で礼を言い、はフラウ達と合流するために狭くなった通路を歩き始めた。


***


協力者がいるといないとでは大違い。T字になった角の所でフラウとちびっ子達が通り過ぎたのを見たは、役目を終えたトレイを片手に歩調を僅かに早めた。彼女たちの方はトレイではなくカートで配る形だったのは覚えている。あまり減っていた様子はなかったが。ひょいと脇から顔を除かせると、キッカが声を上げながら缶詰を両手に掲げているのが見える。カツとレツも元気良く手伝っている。小さいのに、よく頑張る子供達だ、と、ここまでは良かった。
避難民の一人が、の所からも良くわかる声で缶詰ばかりだとぼやいたのだ。アランも言っていた。前回の配給も缶詰だったらしいから、同じ缶詰が出たら文句の一つも言いたくなるのかもしれない。ただ、それを真っ向から口にする豪胆さがあるといのもある意味流石と言うべきか。

「お水が足りなくなってきてるんです」

次の補給場所までの我慢だからと力付けるように言っていた。ルナツー基地と言った気がする。
それが切っ掛けだった。話が違う、トイレの水が流れない、地球にはいつ着くのか、とフラウとちびっ子達を取り囲むように避難民達が詰め寄り始めたのだ。まずい、と思う。
唯でさえ着の身着のまま家を追われて不本意に避難した軍艦内での狭い共同生活は、ストレスを溜め込む。プライバシーの許されない環境に放り出されて、現状説明もされないまま、何処に向かうかさえわからないままでは不満は積り続ける一方だ。当のフラウもつい数分前までは避難民の立場だったのだから、細かい行程など、ましてや艦内の問題など対処できるはずもない。案の定、囲まれておたおたと黙り込むしかなくなっている。

「っとにもうねぇ」

ぼやき、傍に行こうと踏み出した一歩はさっと横目を通り過ぎた影で止った。見事な金髪をなびかせ、軍服に着替えたらしいセイラの背中があったからだ。その直後、凜とした声が通路全体に響き渡った。

「あのサイド7から生き延びたのですよっ」

見事な一言だ。科白もそうだが、何より彼女自身の威風堂々さが全員の不満を押し潰している。解消されたわけではない分まだ燻り続けるだろうが、セイラの一言はフラウには救いになったに違いない。

「…女傑だね」

呟きを一つ、そしてトレイを脇に抱え込んだは特注のグローブを両手に嵌めていることをわかった上でパン、と盛大に叩いた。思った以上に響いた音に、当然視線は集まる。フラウやちびっ子達、セイラも振り返ってきていた。

「その通りっ」

深呼吸を一回。底抜けに明るい声を、場違いなほどの声量で突き上げる。セイラの一言で抑止になった空気を、更に完全にするために、どこまでやれるかわからないが少なくとも演技は得意だ。
今から道化、今から道化、と四回ほど言い聞かせるように頭の中で唱え、脇に抱え込んでいたトレイをするりと片手で握りしめる。開いていた腕はショーの司会者がするような動きで肩まで上げた。

「大切な家を失いながら、勇気を出して軍の服に身を包んだ幼気な少女に向ける皆様方の不平不満はごもっとも。何故って勿論、この船が立派な軍艦で、皆様方は争いとは無縁の生活を送っていた一般人だからに決まっています。肌に合わないのは百も承知、寧ろ合わなくて当たり前。乗り込みたくて乗り込んだ訳じゃない。戦いなんて真っ平ごめん。望んだのは手前勝手な平穏無事の生活だけ。あぁさっさとこんな場所から解放されたい、愛しい人、温かい我が家は一体何処(いずこ)?」

少しずつ手を胸へと移動させていく。朗々と歌うように紡いだ一言の中に、大きく皮肉ったフレーズがあったのだが幸いに避難民達の中で気付いた者はいなかったらしい。きょとんとした顔になってそれぞれがの言葉に聞き入っていた。

「皆様方が平和な生活に戻りたいと思うのは全くもって当然のこと。血生臭い戦争から少しでも遠ざかりたいと思うのは民間人なら必須思考。けれど其方の美しく凛々しい軍人さんが仰られたことまた事実」

ちらりとセイラに目を向ける。訝しげな視線とぶつかったが、さらりと流した。

「皆様方は生きている。そう、命辛々生き延びて、行着いた先がこの軍艦。今は良かった良かったと胸を撫で下ろしておりましょう?では、撫で下ろした胸の奥深くでお考え下さい。なに、とても簡単な問いかけです」

そこで区切り、ぐるりと通路を見渡した。

「サイド7の住民全てが、生き延びることができました?」

誰かの息を飲む気配がする。それまでの調子と全く変わることなく、は支えをなくした人形のようにかくりと頭を傾げた。笑顔も深い。

「それは全くの見当違い。皆様は【やっと】生き延びた。生き延びることが出来たのです。これは皆様方しかわからない事実であり体験でもある。ならば、ここにはいない方々に夜な夜な恨み言を囁かれないためにも、今一度思い出されては如何でしょう?どうしてこのような場所にいるのだろうか、と。そうすれば、隣同士で缶詰の中身を交換し合う余裕も生まれ、食事の不満は小さくなり、行き先の疑問も晴れましょう。この艦は、我々を安全に運んでいるのに大差ないのですから」

水を打ったように静かになった。誰もが具合悪げに顔を俯けている。言い過ぎたか、と思わずそれまでの作り笑顔から苦笑になってしまうが、オブラートに包んでいても逆効果なのは分かり切っていた。ようはセイラが言っていたことと同じなのだ。頬を軽く掻きながら、は最後に付け加えた。

「…まぁ、トイレに関しては善処してもらいましょう。こればかりは我慢は体に悪いですからね」

乾いた笑いをして無理矢理締めくくると、はセイラとフラウに視線を投げる。あれだけ言った手前、軍服を着込んだ彼女たちと親しく話すのは体裁が悪い。妙な誤解を生んでしまうからだ。
行くようにと軽く手を振り、それを理解した二人は直ぐに背中を向けた。フラウはちびっ子達の背中を押して何事もなかったように配給を始めている。ほっと胸を撫で下ろし、もその場から退散する。歩く中、投げられる視線は酷く居心地の悪いものだった。








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