慣れないことはするものじゃない。
ぐったりとした気持ちをともかく休めたい一心で辿り着いた先は食堂だった。トレイを返さなければいけない意味もあったが、椅子に座りたい心境だったのだ。ふらりふらりと厨房に姿を見せたに一番に声をかけたのは、恰幅の良い軍人だった。

「君か、缶詰は全部はけたのかい」

所々汚した白い前掛けをして、人の良い笑顔と声で出迎えてくる。

「素晴らしい協力者のおかげです」
「協力者?」
「知り合いですよ」

言いながら手にしていたトレイを差し出すと、納得したのかどうかわからない顔になりながらも、彼は受け取った。ふいに視線を奥に飛ばして厨房全体を見るも、活気がない。何かを調理しているようには感じられず、軍人達は手持ち無沙汰のようだ。フラウが言っていたとおり、水の不足は少しばかり深刻らしい。そういえば、通り過ぎた食堂は椅子に座る者はいても、食べている者の姿は見られなかった。

「少し食堂で休んでも良いですか」
「構わんよ。ここはそういうとこだ」

何か食べるかい?と言われたが、は少しばかり考えて丁重に断った。缶詰が嫌だというわけではない。実際空腹とはほど遠い状態で、必要なかった。だが、彼は違うように受け取ったらしい。

「まぁ、缶詰を配ってきた君に、また缶詰を渡しても虚しくなるだけか」

苦笑ながらの言葉に、も笑うしかない。トレイに敷き詰めた缶詰はピラミッド型にして運んでいたのだ。見るのもいやだろう。そう捉えられても仕方がなかった。

ざわつく食堂内を見渡し、空いていた椅子の一つに腰掛けて深く息を吐き出すとテーブルに突っ伏した。顔を上げないまま、ゆるゆると腕を上げて頭の上に手を置いてくしゃりと短い髪を掻き回す。今顔を上げたら、とんでもない醜態を晒すだろう事は目に見えている。だから頭を上げることは出来なかった。
大袈裟だったがかもしれないが、後悔はない。必要と思ったからこその演技であり言葉だったのだから、行動に移すのに迷いはなかった。それが無性に居心地が悪いと思うのは、唯単にの中にある羞恥心が大きく膨れ上がって臨界を突破しつつある、それだけだ。あまりの恥ずかしさで今いるのが食堂だろうが何だろうが大声を出して悶絶したい衝動を抑えるのに必死だとしても、それはあくまでの問題なのである。
もし、先程の道化と評するには僅かに感情移入が出来てなくて、ピエロと評するにも演技不足な、何とも中途半端な様を元の世界の知人、誰か一人にでも見られたとしたら。たとえじゃなくても、口に乗せてしまったら。考えただけで意識が彼方に飛んでいきそうになった。

「…く、口が真っ二つになっても言えるわけないっての」

ぐりぐりとテーブルに額を擦りつけ、呻るように呟く。完全な独り言、のはずだった。

「何が真っ二つになるのかの?」

その声に、は僅かに頭を上げた。内心驚きはしたものの、ここは食堂だ。誰が来きても、居ても、当たり前だ。落ちてきた声にも聞き覚えのあるものだったせいか、まともな反応を返さなかった。

「…アラン」
「何だ。その陸に上がったタコのような成りは」

皺が目立つアランは、テーブルを挟んで座っていた。呆れられている。

「さっきまでの威勢はどこに隠れたのかの」
「あの後全部出し切ったので燃料切れなんですよ。今は休憩中です」
「若いモンの言葉じゃないぞ」
「今は若いモンでありたくないです」

言いながらもテーブルとくっついていた上半身を上げた。アランと話しをするためである。理由はどうあれ、此処に彼が来てくれたのは有り難いし、穴があったら入りたい(寧ろ作って潜り込みたい)気持ちが逸れてくれる。見れば、彼の手には渡したはずの缶詰がなかった。

「食事は終わったんですか?」
「あぁ、途中まで食べて近くにいた子供に渡したよ。ジジイにあの量は多すぎだからの」
「魚だからとかじゃないんですよね」

言うと、アランは僅かに苦い顔になりながらも違うと否定した。正確な年齢は知らないが、缶詰一つの大きさを考えれば彼にとって結構なボリュームになる。女性や子供、そしてアランのような高齢者は多少オーバー気味になってしまうだろう。ただ、渡す際の魚の毛嫌い具合を思い出すと、冗談で言った一言も案外図星になるのかもしれない。

「でも、食べてくれたのなら良かったです。配給のしがいがありますよ」
「緊急の事態だからの。いつどうなってしまうかさえ見越せない現状では、腹拵えくらいはしっかりしとかないといかん」

ほっ、と笑いながら言われた一言はまさに今を現わしている。缶詰だからと不満を言って食べないままにしていたら、後々どうなってしまうかわからないのだ。助かった、で終わったわけではない。【命辛々】の状態は軍艦から離れない限り、続いている。

「そうですね」
「そうそう。しかもどっかの誰かさんが見事な演説を披露してくれたおかげで、皆にも連帯感が広まっての」
「……は?」

変に含みのある表現に、は頭上に疑問符を浮かべたような顔になった。見る先のアランの表情は酷く楽しげで、目元が緩みきっている。嫌な予感が十分すぎるほど伝わってきて、椅子に座っていた腰が一瞬浮きかけた。

「その場にいなかったのが惜しいの。お前さん、演劇に興味があったのかの?随分顔が知れ渡ったみたいで、これから大変だの」

しみじみ呟かれた一言はわざとだ。心底同情した表情と仕草も、全てわざとだ。笑いを堪えた顔が良い証拠だ。

「……聞いたんですか」

盛大に吐いた溜め息の後に口にだせたのはたったこれだけ。勿論、全く予想していなかった訳じゃない。あれだけの立ち回りをしてしまったのだから、大なり小なり印象には残る。忘れろと言う方が無理な要求だし、人の噂も、止められることなど出来ない。移動が限られた狭い軍艦内では尚更だ。諦めたように小さく笑いながら問い掛けると、アランはさも楽しげに軽く肩を揺らした。

「粗方の。若者が一人、まだ年端のいかない軍属の子によってたかって不平不満をもらしていた連中を一発で黙らせたって専らの評判だ」
「…先に黙らせたのはもう一人いるんですけどね」
「知っとる。だが、皆の印象には凛々しい軍人よりも後者の方が強く残っとるらしい」

人の印象など、その程度かもしれない。

「どれもが正論で、聞いていた連中は反省し切りっぱなしだと言っとったの。勿論、不満をもっとる奴もいたようだが、軍服連中に言われるよか同じ立場の者から言われる方が効果がある。お前さん、機転が利くの」

ニヤッと笑ったアランの無邪気さに返せたのは乾いた笑いだけだ。やはりボケてはいないらしい。ここまで人をネタにからかおうとする意欲があるなら正常値云々以前の問題だろう。

「知り合いじゃなかったら傍観してましたよ」
「知り合い?」

きょとんとした顔と視線を投げかけられて、あぁそうかと思い直した。彼はフラウを知らないのだ。

「アランが言っていた年端のいかない軍属の子、知った子なんです」

驚いた顔をしていたが、続けた説明でなるほど、と何度も頷いていた。両腕を組んで、得心がいったと言わんばかりだ。

「ならば、その少女は可哀相だの。自分も避難民に変わりないというのに苛立ちをぶつけられたのだからの」
「正規じゃないとはいえ、軍服着込んでるんですから、関係者だって思われても仕方ないですよ」
「だが、お前さんはそれを傍観せずにいた。男っぷりを上げたの」
「そんなことないですよ。寧ろ呆れたんじゃないですかね」

セイラやフラウがの行動をどう判断するか、それは問題じゃない。あの場では話しが出来る状況ではなかったし、会話を交わせば周囲には逆効果になった。合図を送ったことは理解したようだったけれど、演技をどう理解するかはそれぞれが考えることだ。その結果、彼女達の見る目が変わったとしてもにはどうすることも出来ない。曖昧に笑って肩を縮めた。だが、アランはしばらく黙っていると、から視線を外して徐に深く息を吐き出した。ふるふると頭を横に振って、呆れた顔で見やってくる。きょとんとしたに、更に溜め息を吐かれる悪循環が生まれた。

「何ですか」

むっとした声になったのは仕方ないだろう。少なくともからすれば心当たりは欠片もない。

「鈍いのは悪いことじゃないが、決して長所にはならんぞ」
「…俺は鈍くありません」
「そういう問題じゃな」

続けられるはずだった科白は、突然響いたアラームに掻き消されて声にされることなく終わった。
クルー全員を招集する連絡が響き渡ったのである。ばたばたと出て行く数人の軍服組を横目で見送り、ちらりとアランに目を向ける。投げかけられた視線に気付いていない彼は酷く険しい顔つきになって出入り口を見据えていた。飄々とした態が嘘のように、纏う空気ががらりと変化している。僅かに首を傾げたは、しかし何を言うこともせず軍服組が慌ただしく出て行った食堂の出入り口に目を向けた。

「……揺れる、かな」

確信のような一言だった。








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